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注目記事 (2005/8/15)

Opinions:
 
「日本の大学をどうするか ― 高等教育改革への提言」
 猪口 孝(中央大学教授)
  
   明治維新以来、日本の高等教育は学部における医学、工学、農業、外国語、法律、経済といった応用系学問を軸にしてきた。高等教育の課題は文明開化・富国強兵であり、欧米の文明つまり技術と産業、法律と制度を輸入し、土着化して国家の使命を少しでも早く達成できるようにという明白な任務があった。卒業生はすぐに国家使命遂行の最前線に置かれるという体制であった。
   大学の規模が次第に大きくなっても国家エリートという擬制はそのままで、応用系学問で学部を組織することが、学生の就職目的上も至上命題であった。大学の組織も、スクールのように大きなデパートメントが主流であり、とりわけ法学部や経済学部は学生数も教授数も大きいにもかかわらず、学科はほとんど意味のないままであった。とにかく大量の学生が比較的少数の教授によって卒業させられる「労働生産性の高い」学部が法学部と経済学部であった。政治学部とか社会学部はほとんどなく、そのような学部だと反体制に走る学生が多くなるのではないかという考え方もあった。
   しかも1945年以降連合国占領下でも変更は国立大学が急増したことくらいで、同じ大学の仕組みを温存していったのである。自由と民主主義を謳歌し、学問が一斉に開花してよいはずのところに、さすが反体制予備軍育成にしないためとはいわずに、就職先がみつからないからと言いつづけて、今日に至っている。そして今日では応用系学部は学部だけの教育の薄さと甘さで就職難になっているのである。
   それでは日本の大学をどうすべきか。大学教育はやはり真理追求、人間性追求にある。応用系軸で組織することは大学院とりわけ応用系大学院に任せて、学部教育は人間の潜在能力を引出し、引き上げることに重点を置くべきである。人類社会は技術水準の急速な発展によって応用学問の領域は天文学的な拡大を経験しているのだから、教養科目はやめて、大学一年の時からでも専門の科目を教えるべきという意見があるが、私はそうではないと思う。大学四年間は人間発達をさらに高度に引き上げることを可能にするような基盤的学力を獲得する中核的教科を軸にするべきである。具体的な科目としては、哲学、歴史、文学があり、また国語と英語を徹底的に教え、さらに第二外国語も必要である。
   今日本の大学教育で必要なのはデパートメントの体制変更である。大量生産・大量消費の時代ではもはやないのに、デパートメントが大きすぎる。オン・デマンドで商品を作るくらいの大学教育を実効的に構築するためには、カリキュラム、人事、会計などでの主権をもち、もっと小回りのきいた学部にすべきである。もちろん、大きな方針は大学本部が決定すべきで、本部は学術水準の向上と外部資金調達と卒業生就職に全力を尽くしてほしい。そのような学生の要望と世論の批判が着実に強くなる中で、大学の組織原理は大きく変更される時が来たのである。

英語の原文: "What to Do with Japanese Universities - A Proposal for Education Reform"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20050815_inoguchi_what/
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