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時間切れとなった小泉政権

ピーター・タスカ (アナリスト、アーカス・インベストメント)


オリジナルの英文:
"Time Up for Koizumi"
http://www.glocom.org/debates/20030421_tasker_time/


要 旨


日本は政権末期の様相が濃い。先週末行われた地方議会と政令指定都市の首長選挙においても、既成政党に幻滅を感じる国民の声が顕著に示された。


選挙の結果に満足した大物と言えば、東京都知事として二期目を勝ち取った異端の国家主義者とも呼ぶべき石原慎太郎氏であろう。一般大衆の支持を得た不屈の政治家として、石原氏は無党派層の70%の票を勝ち取った。彼の注意深くかつあいまいな発言からは、いまだに国政に対する野心が垣間見える。表舞台に登場する機会をうかがう他の政治家たちと同様、石原氏もまた、小泉首相が完全に失墜することを、そしてできれば新たな金融危機の発生によって「改革」という表現が政治用語から当分の間外されるという過程を経て、小泉氏が辞任に至ることを期待している。


この9月には自由民主党党首の、すなわち事実上日本の総理大臣の選挙が行われる。国際政治の緊張と弱体化した財政基盤を勘案すれば、日本としての一体感を強めるためには、昔フランスが第四共和国の崩壊に際してシャルル・ド・ゴールを政治の中核に呼び戻したように、石原氏に対して政権を率いるよう実力者達が説得を行うという可能性は否定できない。


石原氏が9月に自ら動きを見せるか、あるいはもう少し待って知事選挙で公約したように都庁をベースに「今まで以上に過激にやる」ことになるか、いずれにせよ小泉首相は功績がほとんどないまま歴史の落とし穴にはまって消えて行く可能性が日に日に高まっている。


小泉首相はこんな辞め方をするはずではなかった。2001年4月に彼が首相に就任した時は、新鮮な息吹として歓迎された。構造改革政策は各方面で称賛され、特に米国政府からは、日本の諸問題がようやく真剣に採り上げられる最初の機会であると期待された。


しかし残念なことに、日本の改革主義者と外国の支持者達は日本の病状を誤って診断し、経済回復の可能性についてあまりにも楽観的になってしまっていた。構造改革というのは、1930年代型の問題に対して1980年代型の解決策を適用したものであった。前代未聞の資産価値の崩壊の後であるにもかかわらず、政府は公共事業の削減や、隠れた増税によって公的需要を圧迫する政策を採った。その間、金融政策は矛盾しかつ保守的であり、富士山にも喩えられる規模の不良債権の山につぶされた金融機関の救済策は全く採られなかった。


その結果、市場は中毒症状に陥った。株価は小泉首相が就任した時に既に重症であったが、その後更に45%も下落し、ボーイ・ジョージ(1980年代初期の英国出身のロック歌手)がヒットチャートのトップを争い、レオニード・ブレジネフがクレムリンにいたころの水準にまで落ち込んでしまった。


もっと驚くのは、市場金利が十年物国債の利回りで0.65%という史上最低水準にあることである。それにもかかわらず悲観論が充満し、企業は資金調達よりは債務の返済に汲々としている。


この春、日銀総裁人事という政策の転換を図る機会を得た小泉首相は、しかしそれを台無しにしてしまった。新しい総裁には積極派の人材を投入すべきであったにもかかわらず、結局任命されたのは過去15年間にわたる失政の一端を担った金融官僚であった。政府には、例えば米国経済の回復というような幸運をひたすら期待するといったミコーバー氏(ディケンズの小説に登場する貧乏ながら常にタナボタを期待する楽天家)的な手法以外に、景気回復を企画遂行する能力が全く欠落していることが、ここへ来てあらためて明らかになった。


政権内での責任と協調体制の崩壊も著しく進み、先週は閣僚が他の閣僚を公に嘘つき呼ばわりする醜態を見せた。小泉首相の唯一の取り柄であるクリーンなイメージさえも、密室の駆け引きの末、ようやく更迭されたある閣僚の汚職容疑で汚されてしまった。日本のメディアは、この事件と、戦争反対という自らの主義を貫徹するために辞職した英国のクック議員との対比を素早く指摘した。


日本は1920年代にも今と同様の事態に見舞われたことがある。世界中がブームに沸いていた1920年代、日本は既にデフレと不良債権の泥沼にはまっていた。しかし金融システムの健全化と消費拡大を図るべきであった日本の政策担当者達はこのとき無為無策であった。そして、これ以上事態の悪化に耐えられないというときになって初めて行動を起こした。


ウォール・ストリートの大暴落の直前、当時既にカリスマ的な有名人であり、今の小泉首相と同じ「ライオン」というあだ名を持つ浜口雄幸が総理大臣に就任した。彼は日本が回復するためには、苦しみに耐えなければならないということを直接民衆に向かって雄弁に訴えた。そして当時の大蔵大臣、今で言えば金融行政を担当する竹中平蔵氏の立場にいたのが井上準之助であり、金解禁という日本経済を壊滅に導くことになる失策を実行したのはこの井上であった。


浜口内閣の後継政権は、より現実的な成長策を採用した。やがて経済は諸施策に反応を始めたが、日本の社会と政治風土は既に修復不可能な深い傷を負ってしまっていた。絶え間のない汚職スキャンダルと政策に一貫性を保てない無能な官僚に幻滅した日本は、自由な民主主義に背を向け、国粋主義・軍国主義への暗い道を歩み始めたのである。


マルクスは「歴史は繰り返す。始めは悲劇として、次に喜劇として」と言った。第二次世界大戦がトラウマになっている今の日本では、軍国主義が復活することはあり得ない。しかし良識と国際的センスを有するはずとされた専門家層の支持を受けた小泉政策が破綻するという現象は、大きな転換点になる可能性がある。


イラク戦争と北朝鮮問題によって、日本自身の脆弱性とともに、日本の唯一の盟友である米国の政策には一貫性が無いことが際立った。金融の混乱を通じ、日本の為政者には基本的な対処能力が欠如していることが明らかになった。汚職は増加こそしていないかも知れないが、隠し通すのはより困難になった。石原氏本人ではなくても、同様の考え方を有する若い政治家が活動を広げる余地は大きく広がっている。この先数年にわたり、日本の市場では株価はさておき、大衆迎合と国粋主義という株が上がるであろう。

(日本語訳:浦部仁志)

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