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変容する世界と東アジアを見据えた政策を進めよ

白石 隆 (京都大学教授)


オリジナルの英文:
"Japan Must Promote Policies to Cope with the Transforming World and East Asia"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20031201_shiraishi_japan/


要 旨


冷戦終結後、アメリカを中心とする世界秩序が成立した。アメリカの世界への関わり方には、従来から「力の均衡」を基本とする考え方と、国際協調により開かれた国際経済体制を構築しようという、大きな二つの流れがある。そして、2001年9月11日の同時多発テロ発生以来、いわば「戦時」ムードの中で、政策は大きく力の行使の方向に振れた。しかし、意識が「平時」に戻る過程で、イラク対策遂行上の国内コストや経済動向次第で、反対の方向に大きく振れる可能性もある。この間、イラク戦争を巡って露呈したのは、アメリカを中心とする同盟体制の変容である。冷戦時代にはソ連からの保護を必要とした日本・西欧は、アメリカのジュニア・パートナーとしての役割を担っていたものが、その必要が無くなる一方で、アメリカ自身、同盟関係に縛られない、行動の自由を確保したいという欲求が高まった。今回のイラク戦争で、西欧が必ずしもアメリカに追随しなかったのは、このような関係の変容の反映である。


そして、所謂「周辺」の問題がある。第二次大戦後、多くの独立国家が誕生したが、国造りに成功したのは、東アジアを例外としてそれほど多くは無い。中央アジア・中東・アフリカなどでは、国家としての体を成していない「破綻国家」も少なくない。強大で豊かな大国の周辺には、このような「化外の民」の発生は必然であり、これを平定しようという大国の試みは、結局は自らを疲弊させて行く「imperial overreach」に陥る可能性がある。「周辺」の問題解決には、「破綻国家」を正常に戻す努力が必要であり、これは武力では困難である。


東アジアには、本来、共同体を作るという共通の意思は無かったし、その前提となる「アジア人」としてのアイデンティティーも希薄であった。しかし、日本を先頭とする雁行型の地域経済発展によって、1980年代後半には、ここに一つの経済圏が事実上成立していた。すなわち、市場メカニズムを原動力とする地域化である。しかし、1997-98年の危機以来、この地域でも共同体を作ろうという共通の政治的意思が生まれつつある。日本も、1997-99年にかけて、グローバリズムのみならず、地域主義にも配慮をするようになった。アジア通貨基金を提唱し、チェンマイ・イニシャティブをまとめ、シンガポールと経済連携協定を締結し、2002年には小泉首相が日本・アセアン経済連携を提唱した。そして、国の経済が軌道に乗るに連れ、各国に中産階級が成長しつつあり、これらの人々の間で、新しい「アジア人」としてのアイデンティティーが形成されつつある。


このような、環境の変容の中で、日本は何をすれば良いか。まず、日本はアメリカの「テロとの戦争」に反対するという選択肢は無い。しかしこれは、アメリカをいつでもどこでも同じように支持するということではない。もしイラクがアメリカの同盟国になることが出来れば、日本にとっても利益である。しかし、「imperial overreach」に陥ってはならず、そのためには、日本はアメリカに対し、「テロとの戦争」の目的と戦後構想をはっきりするよう求めるべきである。一方、東アジアの経済連携に対しては、日本は多くのことができる。ここで日本の行動を制約しているのは、むしろ日本の国内事情である。首相の提案した経済連携が日本国内の抵抗でまとまらないというのでは、信用を失ってしまう。政治的リーダーシップに期待される。

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