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政府と市場 適切な補完を

佐和隆光 (京都大学教授)


オリジナルの英文:
"Government Control and Free Market: Need for a Complimentary Relationship"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20040209_sawa_government/


要 旨


経済の仕組みの改編を論じるとき、市場(民)と政府(官)がどう役割分担すべきなのかが最大の争点となる。小泉首相の構造改革は、官から民への資金と権限の移譲をモットーとしているが、その元は、1979年に英首相に就任したサッチャー女史のサッチャリズムまでさかのぼれる。当時は、第一次オイルショック後半減した成長率に対応するために、国営企業を民営化して、政府が売却益を得ることと公共サービスの一部を民営化ないし有料化することなどが優先的な課題とされた。

その頃から、一部ではかのケインズが政府を大きくした張本人であると断罪され「ケインズは死んだ」と喧伝されるようになった。ケインズ経済学のエッセンスは、市場が不完全であるために発生する不均衡と不安定を回避するためには、財政金融政策を駆使しての政府の市場介入が不可欠なものであるというものであった。

これに対し、80年代、サッチャー、レーガン、そして中曽根の三氏は、もし市場が不完全であることにより政府の市場介入が必要ということであれば、政府を小さくするには市場を完全なものに近づけてやればよい、という方向での改革をそれぞれの国で推し進めた。しかし、90年代の経験から判明したことは、市場が完全に近付くほど、「市場の力」が暴力と化す危険が高まるということであった。さまざまな問題、例えば、競争の結果としての「一人勝ち」や自由の行き直ぎによる「不正会計」は、これらは政府による法的規制が必要であることが明らかである。

かつてケインズは「政府のなすべきことと、なすべからざることを仕分けする」必要を説いた。ここで「なすべからざる」ことは、更に二つに大別されよう。一つは、効率性の面で民が官をしのぐような事業、鉄道・電気通信・電力などであり、もう一つは政府がやるには小さすぎる仕事、環境保全・福祉・学校教育などである。特に後者は、地方自治体やNPOに委ねるべきである。純粋な市場主義社会は共産主義社会と同じく、ユートピアでしかなかったことを学んだ我々は、市場と政府の間に適切な補完関係を築くべきである。

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